世界最大のラグジュアリーグループLVMHが、フランスのトップファッションスクール「Institut Français de la Mode(IFM)」と研究講座を設立した。年間15万ユーロの資金援助。研究テーマは「創造性とテクノロジーの関係」。そして研究者は——AIエンジニアではなく、哲学者だ。

何を研究するのか

今回の提携で設立される研究講座の目的は明確だ。「クリエイティブな思考を持つ人間がテクノロジーとどのように関わるか」を理解すること。具体的には、デザイナーがアイデアを生み出すプロセスを新しい視点でモデル化する試みだ。

この研究を担うのはTobias Rees。哲学的R&Dラボ「Limn」の創設者で、認知科学、哲学、実践の交差点で活動してきた人物だ。研究の出発点は技術ではない。「AIがデザインの現場で何を変え、何を変えないのか」という問いへの答えを、観察と分析を通じて探ることにある。

LVMHの75ブランドを率いるベルナール・アルノーのグループにとって、これは珍しい選択だ。AIツールを導入するでも、AI専門企業を買収するでもなく、まず「理解する」ことに投資した。

IFMの現実:学生の50%はすでにAIを使っている

IFMの学長を務めるシドニー・トレダノ——クリスチャン・ディオールのCEOを20年以上務めた人物——は、デザイン専攻の学生の約50%がすでに生成AIを制作に活用していると明かした。

一方で、AIの使用は任意だ。すべての学生が肯定的ではなく、使わない選択をする学生も多い。LVMHはこの「温度差」こそが重要だと考えている。AIを積極的に取り入れるグループと、距離を置くグループの違いは何か。それはツールの善し悪しではなく、創造プロセスの本質に関わる問いのはずだからだ。

研究講座は、この問いに答えるためのフレームワークを構築することを目指している。「AIを使うべきか否か」ではなく、「AIを使うことで何が生まれ、何が失われるか」を問う。それはまったく異なるアプローチだ。

なぜLVMHは急がないのか

ラグジュアリーブランドにとって、AIの拙速な導入はリスクと隣り合わせだ。ルイ・ヴィトンやディオールが何十年もかけて築いてきたのは「希少性」「職人技」「人間の創造性」という物語だ。その物語を守ることが、4,000ユーロのバッグが正当化される理由でもある。

もしAI生成デザインがファストファッションと同じツールから生まれているとしたら——その物語はどうなるのか。これはブランド価値を直撃しうる問いだ。

だからこそLVMHは「理解してから動く」戦略を選んだ。AIが創造プロセスをどう変えるかを、外から推測するのではなく、データと観察を通じて内側から把握する。それが整ってから、各ブランドへの具体的な展開を検討する。この順序は慎重というより、合理的だ。

IFMへの影響——ラグジュアリー教育の新しい軸

IFMにとって、この研究講座はポジショニング上の重要な機会でもある。フランスのファッション産業を支えるために1986年に設立された同校は、世界のラグジュアリーブランドに人材を送り出してきた。

LVMHとの共同研究によって、IFMは単なる職業訓練校から「ラグジュアリーとAIの知的議論を主導する場」へと進化できる。カリキュラムへの反映、教育メソッドの更新、そして業界全体に向けた研究発信——いずれも、次世代のクリエイターが「ツールを使いこなす」だけでなく「ツールについて考える」人材として育つための土台になる。

まだ答えられない問い

研究講座が短期間で解決できない問いも残る。AIが「クリエイターのツール」から「創造的判断の代替」に変わる境界線はどこか。4,000ユーロのバッグを買う顧客は何に対してお金を払っているのか——製造技術か、アイデアの独自性か、ブランドの物語か。そのうちのどれかがAIに置き換わっても、価値は変わらないのか。

これらに答えを出すことが研究講座の目標ではない。問いを正確に立て、証拠を積み上げていくことが目標だ。そしてLVMHほどのグループが、この問いに正面から向き合う姿勢を持ったこと自体が、業界全体へのシグナルになっている。

年15万ユーロ。ラグジュアリービジネスの規模感では小さな投資だ。しかしこの投資が目指している問いの質は、その金額をはるかに超えている。